ロシア人に最も愛されるポピュラー音楽の歌手といえば、だれもがアーラ・プガチョワを挙げる。日本にたとえれば、国民的歌手だった美空ひばりであろう。私が若かったころ、ロシアのサンクトペテルブルクに留学していて、友人に誘われカラオケに行った。ロシア語の勉強と思って、「エルミタージュの屋根から飛ぶ」思いで勇気を出して、プガチョワの代表曲〝百万本のバラ〟を歌った。音程も発音もいい加減だったのに、地元の人は「ザミチャーチリヌイ!(素晴らしい)」と喝采してくれた。外国人も歌うこの名曲が誇らしかったのだ。
そのプガチョワが、2024年3月末、ロシアの司法当局によって事実上のスパイを意味する〝外国の代理人〟に指定されるかもしれない、というニュースが世界を駆けめぐった。ロシアがウクライナへ侵攻した2022年に、戦争反対を表明した著名なテレビ司会者であるプガチョワの夫が、先に〝外国の代理人〟に指定されていた。プガチョワもウクライナ侵攻を批判し、「夫は、幻想に囚われた目的のために若者が死ぬのを終わらせたいと望んでいる」とSNSに投稿。自ら、「わたしも外国の代理人に指定せよ」と名乗り出ていた。プガチョワはいわゆる反体制歌手ではない。長年の功績により、2014年にはプーチンから祖国功労勲章を授与されたほどだ。
そのニュースから半年ほどたつ。だが、プガチョワがロシア政府によって「スパイ指定を受けた」という続報はまだない。先に指定を受けた夫が身を隠すイスラエルへ、プガチョワも逃れたことが理由ではない。国民的歌手をスパイ呼ばわりすれば社会が動揺する。なにより政府が怖れるのは〝百万本のバラ〟だ。恋人への愛と献身を歌ったこの曲こそ、ウクライナの戦場へ送られた若者たちへ思いを馳せる反戦のシンボルにふさわしい。花はいつの時代も、非暴力の抵抗の象徴になった。2003年、プーチンのロシアから最初に離反したジョージア(旧グルジア)の政変は、無血の「バラ革命」と呼ばれていた。
〝百万本のバラ〟の歌詞のモデルとなった人物が、ロシア帝国の圧政が敷かれた19世紀のジョージアで生まれた画家、ニコ・ピロスマニだ。女優のマルガリータに恋したピロスマニは、彼女の家の窓辺の外をバラの花で埋めつくしたという伝説が残る。私は、ジョージアの首都トビリシへ行ったときにピロスマニの作品を見た。恋人マルガリータの肖像画だけでなく、20世紀初頭の日露戦争を想像して描いた絵に目が釘づけになった。当時のロシア軍人の依頼で創作されたそうだが、海戦の場面でロシア艦隊が炎上して見える。美術館の職員は、「ロシアが敗北したことを、内心歓喜していたに違いない」といった。
放浪の人生を送ったピロスマニは、今では、素朴で自由奔放な画風が多くの人を惹きつけている。愛するもののため、自分を犠牲にする情熱の人だったからでもある。歌でロシアを席巻し、世界を魅了した歌手のプガチョワはどうだろうか。彼女は、ロシアを憎んでいるわけではない。伴侶への愛と、自らの良心に従い、プーチン政権の弾圧を怖れずにロシアの政治を命がけで批判している。祖国への愛とは、誤った政治や政治家への忠誠心とは違うものだ。プガチョワは、それを混同せずに、行動で示す勇気を教えている。歌の心を生き方で示してこそ、プガチョワは真に〝国民的〟な歌手になれる。