南アフリカでは、ワインの新酒が5月から6月に出まわる。北半球の初夏が、南半球では晩秋になるためだ。小雪の舞う6月の寒い日にケープタウンを訪れ、秋晴れの日を待ってアフリカ大陸南端のワイン・ロードをめぐった。
ケープ半島へ向かって南下する道ぞいには、美しい海岸線がつづく。ハリウッドスターやサッカー選手の豪華な別荘が建ち並び、沖にはヨットも停泊している。アパルトヘイトの時代には、白人専用のビーチだった。いまは人種隔離が終わっても、格差の壁は高いままだ。
大西洋側から喜望峰をぐるりと回ると、インド洋側へ出る。ひとつづきの海は同じでも、なんとなく気分が変わる。サイモンズタウンから先の地域にはワインの産地が広がっていた。ここの気候がフランスのブルゴーニュ地方に似ているといい、なだらかな起伏のある風景にもヨーロッパの田舎を感じる。
アフリカ人の土地へ最初に入植したのは、オランダ人とイギリス人だが、フランスで迫害されたユグノー教徒の移民もいた。その人たちが、ここでワインづくりを始めたのもうなずける。道路をよちよち横断するペンギンの群れに気をつけながら、海ぞいの葡萄畑を見あげてドライブした。
ホテルに戻ると、ちょうどケープ・ヌーヴォーの小さなフェアをやっていた。ロビーに、地元ワイナリーの銘柄が並んでいる。そのなかに、ステレンボシュ地区のワイナリーが造った〝タンディ(Thandi)〟を見つけた。「フェアトレードを実現した初のワイン」というキャッチコピーが気になった。
タンディとは、地元のコサ語で〝愛〟を意味する言葉と聞いた。1990年代にアパルトヘイトが終わったときに、アフリカ人とヨーロッパ系の子孫が手を携えてワインづくりに挑戦したそうだ。コミュニティに貢献したのはもちろん、世界的なワイン鑑評会でも数々の高い評価を受けている。愛情にあふれた斬新なデザインのワインラベルも気に入った。
ロンドンのIWSC(国際ワイン・スピリッツ大会)に入賞したこともあるという、シャルドネを1本買って開けてみた。コルクを抜くと、甘くさわやかな香りが広がった。幸せな気分にしてくれたのは、ワインの味わいだけではなかった。
このときから時間が流れ、いまでは〝タンディ〟は手に入らない。何本かあったボトルをすべて空けるころに、旅の思い出も熟成していた。南アフリカを舞台にした『'77・セブンティセブン』(短編集『漆黒のピラミッド』所収)という短い物語を書いたのは、ワインづくりで〝愛〟を育んだ人たちがきっかけを与えてくれた。