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執筆者の写真横村 出 / Izuru Yokomura

ホロコーストの既視感

いわゆる〝テロとの戦い〟を掲げる国々が、イラクやアフガニスタンでの戦争をつづけていた2004年に、わたしはポーランドの南部オシフィエンチムへ旅した。かつて、ドイツ語でアウシュヴィッツ=ビルケナウと呼ばれた、ユダヤ人の強制収容所跡を訪ねるためだった。


霞がかった空気に、夏の陽が照る蒸し暑い日。人影もまばらな午後、黄色い小さな花が咲く広大な敷地を歩いて、不思議な既視感にとらわれた。その年の3月、わたしはバグダッドでイラク戦争の2度目の取材をして、そのまま中東を西へ移動し、4月にはパレスチナ自治区のガザに激しく加えられたイスラエル軍の攻撃を取材していた。


アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所跡 / 2004年8月 横村出 撮影
アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所跡 / 2004年8月 横村出 撮影

強烈な戦争の余韻を引きずりながら立ったアウシュヴィッツで、欧州のユダヤ人としてひとくくりにされた人々の暗い運命が、より普遍的な悲劇として直感できた。この場所でナチスドイツによって実行された凄惨な虐殺が、イラク、パレスチナ、アフガニスタンで目撃した多くの無辜(むこ)の命が失われた事実と、重ね合わさって感じ取れた。


わたしが戦地で向き合ったのは、分断され、細かな単位に分割され、やがて抹消される生命である。オカルト的な〝アーリア人至上主義〟のみならず、強欲をアイデンティティーにすり替える〝民族主義〟や、自己欺瞞を偽善で覆った〝自国第一主義〟が、その原動力だった。そうしていったん解体された運命を、元どおり再生するのは至難だ。


あれから20年たち、1月27日は79回目の〝ホロコーストの犠牲者を想起する日〟。アウシュヴィッツは、反ユダヤ主義と決別し、失われたユダヤ人の命を追悼する慰霊の場である。それと同時に、人類の多様性と共存をかたくなに否定し、暴力によって分割した単位を〝消滅〟させるジェノサイドのあらゆる試みに抵抗する、人類の良心のメモリアルでもある。

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