エリツィン政権下のロシアでは、ソ連解体によって放出された権益が、民間の新興勢力の手中に収まった。〝ノーメン・クラトゥーラ(赤い貴族)〟に替わる新たな社会層で、〝オリガルヒ(新興財閥)〟と呼ばれている。
プーチンは、大統領就任から「法と正義」を掲げ、1990年代に未整備だった規制と権限を大幅に強化した。自らを利するオリガルヒと、自らに敵するオリガルヒを区分し、企業と経営者にまつわる情報を収集した。
この役割を担ったのが、プーチンの腹心グループで、旧KGBの後身組織や出身者を中心とする〝シロビキ(権力派閥)〟である。反政権的なメディアを支配するオリガルヒのスキャンダルを暴き、資源財閥の財務や個人資産を徹底的に洗い出した。
シロビキの暗躍が明らかになったのが、当時のプーチンにとっての最大の政敵を放逐した〝ホドルコフスキー事件〟だった。逮捕・投獄をへて政治亡命したホドルコフスキーは、いまなお、プーチンの政治と闘争の闇への警告をつづけている。
政権側にあって内部告発をして英国内で暗殺されたリトビネンコ事件(2006年)や、同じく英国で起きた元スパイのスクリパリ事件(2018年)で明るみに出たように、シロビキの暗躍は国際法規を無視して国外にまで及んでいる。
権威的強権政治〝プーチニズム〟は、つねに社会に敵対と緊張関係を作り出すことによって維持されている。批判的な言論を沈黙させるために、「国益を損なう売国メディア」というレッテル貼りをして叩き、たくみな社会誘導を行った。
2012年と18年の大統領選では、野党を支持する市民数千人が逮捕された。批判勢力を主導したのが、野党のナワリヌイ氏や、元副首相のネムツォフ氏だった。だが、ナワリヌイ氏は毒殺未遂を経てシベリアの監獄に拘禁され、ネムツォフ氏は暗殺された。
このとき、プーチンは「市民社会を壊すあらゆる運動は非生産的」と断じ、野党の〝取り締まり〟を正当化した。2017年に施行された新法は、特定の政党やメディアを「他国の影響下にあるエージェント(代理人=スパイ)」と指定できるようになり、査察・監視・財務調査によって組織の閉鎖や、身柄の拘束等の措置を可能にしている。
とりわけ独立系のテレビ局やリベラルな新聞社に圧力がかかり、経営陣の追放や事業の接収、記者の暗殺・不審死が相次ぎ、やがて政府に批判的な論調は影を潜めていった。
2022年2月のウクライナ軍事侵攻の口実になった〝歴史の政治利用〟も、プーチニズムのもうひとつの特徴である。ゴルバチョフ時代のペレストロイカに始まる歴史教育の自由化の流れを止めて、ソ連と帝政期を見直す〝歴史修正主義〟を利用した。
歴史教科書を大幅に書き換え、ナチス・ドイツとの戦いだけでなく東欧を侵略した〝大祖国戦争(第2次世界大戦)〟と、ソ連の独裁者スターリンの再評価を行った。チェチェン戦争から若者に広まった兵役の忌避を解消し、国家が掲げる〝大義〟の刷り込みに努めた。
こうして〝矯正〟された社会の忠誠心を試す手段こそが、プーチンの戦争である。(つづく)
*このテキストは、2023年7月に公開された著者による早稲田大学オープンカレッジのオンライン講座『プーチン〜闇の戦い』から採録しました。