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執筆者の写真横村 出 / Izuru Yokomura

プーチン 闇の戦い ⑴

1990年代のロシアを混迷に陥れたエリツィン大統領の後継となったプーチンは、多難な船出を迎える。一番の懸案が、政治から離反した社会への求心力を高めることと、ソ連解体によって失った勢力圏〝失地〟の回復であった。


そのために、国民の〝怒り〟と〝恐怖〟を煽る策を講じた。エリツィン時代に屈辱的な停戦を喫したチェチェン戦争の再開である。首相就任から2週間で、モスクワのアパート連続爆破事件が発生。のちに〝偽旗作戦〟疑惑が浮上するこの事件を、チェチェン独立派の犯行と断定し、準備を整えたFSB部隊を先駆けに〝捲土重来〟の戦争を仕掛けた。


徹底した空爆と3万人の地上兵力を即時に侵攻させ、開戦からわずか3~4ヵ月で首都グロズヌイを攻略した。こうして強いロシアを演出する一方で、政治腐敗にまつわる醜聞を権力の梃子(てこ)として利用した。エリツィン政権に不満を募らせた権力機関を掌握し、エリツィン取り巻きのオリガルヒの汚職や脱税の情報を握って、企業や報道機関を操った。


ロシアの〝誇り〟を賭けた戦争は悲惨を極め、やがてチェチェン独立派のうち過激な勢力が無差別テロへと転じるが、プーチンはテロをも奇貨とし野党や言論の引き締めを図った。


モスクワのクレムリン宮殿で会見する米ロ首脳/2002年 横村出 撮影
モスクワのクレムリン宮殿で会見する米ロ首脳/2002年 横村出 撮影

どのような体制であれ、政治には目的があり、その結果で審判を受ける。プーチンのそれは、ロシアの覇権を回復し、米一極集中に偏ったポスト冷戦秩序に挑戦することだ。


そのため、グローバル秩序に挑戦できる軍事力を蓄え、エネルギー利権によって経済的な存在感を高め、国連安保理等での政治力を操って駆け引きした。この23年間をふり返れば、2004年までの1期目は〝内戦とテロの掌握〟に注力し、08年までの2期目に〝周辺国への干渉と攻撃〟に転じ、さらに18年までの 3期目で〝覇権拡大の揺さぶり〟をかけた。


そして、現在の4期目が、〝力による国際秩序の変更〟の挑戦である。プーチニズムと呼ばれる強権体制下に置かれたロシア国民の沈黙は〝恐怖〟と〝愛国〟の高揚によるところが大きい。同時に、西側の国々が対ロ強硬策と融和の狭間で金縛りになってきたのも、プーチニズムへの〝恐怖〟がもたらした反応といえよう。(つづく)


*このテキストは、2023年7月に公開された著者による早稲田大学オープンカレッジのオンライン講座『プーチン〜闇の戦い』から採録しました。

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