2023年の暮れ、友人のフォトジャーナリスト仙波理さんが、しばらくぶりに鎌倉を訪ねてくれた。コロナ・パンデミックは、世の中のさまざまな職種に影響したが、人と会って取材をするジャーナリズム界はとりわけ深刻だった。まして海外取材を生業とするなら、なおさらである。
仙波さんは、わが家から歩いて数分にある由比ヶ浜へ、ふらりとひとりで海を眺めに行った。もはや体の一部といっていい、愛用の一眼レフカメラをぶら下げて。「横村さん、こんなのが撮れました」といって、彼は照れ笑いを浮かべ、カメラの液晶モニターを見せてくれた。
そのなかのひとつが、暮れゆく浜辺にたたずむカップルと、光を浴びて飛びたわむれる2羽の鳥のシルエットを、一瞬で同時にとらえていた。
仙波さんと、ふたりで酒を飲んだのは、戦火のカブールの夜が最初だ。その何日か前の真夜中に、近所の市街地を米軍のトマホーク・ミサイルが誤爆していた。少量だったからだけでなく、ウィスキーにわれわれが酔えるはずもなかった。それから、2度目にグラスを傾けたのは、イラク戦争が間近に迫ったヨルダンでだった。
あの時代、戦場へ行けば、必ず再会するジャーナリストがいた。わたしたちは、ハリネズミの毛のように神経を逆立て、決定的な「絵になる瞬間」を逃すまいと瞬きすら惜しんだ。しかし、それは天職をもつ人間の一面にすぎない。命取りになる「優しさ」には、心の鍵をかけていた。
わが友、仙波さんはこの鎌倉の浜辺で自由だった。こんなふうに話していた。「自分の写真に、本気が感じられなくて。でも、由比ヶ浜は、ほんとうに絵になりますね」——